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日本でビリヤードが最初に行われたのは江戸時代末期らしい。 |
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明治四年ごろ、東京に初めてビリヤード場ができる。 |
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大正十四年、日本撞球協会、設立され大会が頻繁に開催される様になります。 |
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昭和12〜13年ごろ、ビリヤードブームが起こる。
この頃、伝説の女流選手、桂マサ子さんも現れるのです。詳しくはこちらを買って読んでください。
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昭和30年7月20日、ビリヤードは風俗営業取締法の範疇から外され、スポーツと認識される第一歩を踏み出したのです。
日本撞球協会改め、日本ビリヤード協会となります。
昭和39年、日本ビリヤード協会は、世界ビリヤード連合に加入。翌年より、日本人選手が世界大会に出場し始めます。
昭和49年スリークション競技に於いて、小林伸明選手が日本人初の世界チャンピオン輝いたのです。
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昭和45年頃より、IOC(国際オリンピック委員会)へ加盟申請活動が行われるが、全て却下される。 |
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昭和60年頃、ハスラー2の影響もあり、ナインボールと共にビリヤード大ブームが巻き起こります。(この時期に始めた人が沢山います。)
しかしまだビリヤードはギャンブルといったダーテイーなイメージが払拭できなかたのです。(ハスラー
と言う意味は本当は良く無い意味なのですが)
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1991年4月、日本ビリヤード協会が、法人格を得、社団法人 日本ビリヤード協会(N.B.A)となる。
1992年1月、スイスにてWCBS(世界ビリヤードスポーツ連合)設立合意
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1994年に奥村健プロ,1998年に高橋邦彦プロ(共にJPBA所属)の二人の日本人ポケットビリヤード世界チャンピオンが誕生し、
日本のビリヤードが世界でも通用する事を証明してくれたのです。
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そして近年のブーム、遂に1998年2月WCBS(世界ビリヤードスポーツ連合)は長野オリンピックでのIOC(国際オリンピック委員会)の総会で認可団体として正式に認められたのです。
(前回のオリンピックでは競技出場権をカバテイと争って負けたらしい。)
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1998年タイ、2002年韓国に正式競技として参加 |
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2003年4月1日、JOC(日本オリンピック委員会)に準加盟 |